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■世界的な急性アノミーが各国に静かに浸透中である。ゆっくりと確実に不可逆的な社会や個人の価値の大変化が進行中である。これによって社会混乱の基盤が形成拡大されている。基本的に分断から内戦や革命にむかうが、戦争に向う方向もある。どちらもできない国はソビエト連邦のように国家崩壊へ至る。いずれにしても世界大戦のような大規模戦争が繰り返されるか、戦争に対応できない国は侵略されるか国家崩壊へ向う。世界的に急性アノミーの基盤が形成されている。個人の価値や社会規範は急速に確実に大変化するしかない。これによって個人意識は不安定化し、共同体崩壊が加速される。そのままの流れなら国家崩壊であるが、政府は国家崩壊の前に戦争に移行し、国民は国家崩壊の前に革命に移行する。両方できない国は国家崩壊へ向う。


■キューバ危機の再来のプロセスの予兆さえはじまらないうちに、前兆なしに、突然全面核戦争が発生する可能性がる。AI技術に一定の差が発生すると、どちらかの勢力が突然一方的に攻撃を開始し一方的な勝利と敗者に分かれる可能性がある。冷戦期のように拮抗した政治や軍事ではなく、突然に一方的に全面攻撃がはじまる可能性がある。国家や行政がAIを本格実務導入する2020年代の過渡期に危機は高まる。自律型兵器からの偶発的なエスカレーションをさけるべく大国間での条約締結前にも事前合意が必要と思える。


■※「柔らかいナショナリズムの誕生」あとがき

個人的な話です。後年になり明らかになるのですが、私は高校生時代に難治性の鬱病を患っていました。高校卒業後も療養も兼ねて実家に住んでいました。鬱が軽いときには読書ばかりしていた思い出があります。すでにうっすらとした記憶となっていましたが32年前、実家の近くの街に吉本隆明氏が講演に来て参加したことを、最近になり思い出しました。コロナ禍でありジョルジュ・バタイユを30年ぶりに読み直していたときです。当時、ジョルジュ・バタイユ『内的体験』から神秘主義の主体と客体の融合に興味があり、立ち読みにおいて吉本隆明氏が、ちょうど内的体験を説明していた個所を覚えていたので、会場の本屋さんで講演会当日の講演後に質問した覚えがあったのです。うっすらとした記憶ですが『内的体験』フール街での体験の質問に対しては興味をもってもらえず、吉本氏は『呪われた部分』の普遍経済学に切り替えた話を聞いた覚えだけありました。数年前ジョルジュ バタイユを繰り返し検索していると『ほぼ日刊イトイ新聞』に吉本隆明の講演集なるものに、32年前の前橋・煥乎堂での講演の記録がテキストや音声テープでアーカイブされており驚きました。1991年10月20日でありソビエト連邦崩壊が決定的になった年であり、講演の後半はロシア・マルクス主義について語っていた時代です。現在からふりかえり32年前の講演を聞きなおすと多数の発見もありました。現在から考えると、なぜ吉本氏が『呪われた部分』のバタイユ経済の説明を強調したのか、なんとなく理解できるような気にもなりました。ブログ作成のためにマルクス経済やケインズ経済など危機の経済学を調べていたところ、バタイユ経済が現代に蘇るタイミングであると感じました。吉本氏が神秘主義よりバタイユ経済を推奨してくれたからかもしれません。


『ほぼ日刊イトイ新聞』吉本隆明183講演より

https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a135.html


(質疑応答1)の質問者が私ですが質問にミスが見つかました。(質問者)「マルクスはヘーゲルとニーチェの間をちょうど中間飛行しているような人に私には思えるのですが、そこのところはどうでしょうか。」と質問していますが、聞きたかったのは「バタイユはヘーゲルとニーチェの間をちょうど中間飛行」と聞きたかったのです。私のミスです。


吉本隆明氏は戦中の天皇制から戦後マルクスに転向したとも言えます。労働運動や革命運動の終焉後の80年代には個人思想に移行し、消費者である大衆を肯定していたようにも観えます。時代の変容を観ていたのかもしれません。晩年には原発推進にも言及します。もし令和に吉本隆明が生きていたら、いかなる発言者であったでしょうか?32年前の講演では米国の日米構造協議を徹底的に一方的に日本経済の構造を調べられ「第二の敗戦」とも言えると言及しています。保守論壇がこれに注目するのは平成の後半であったと思われます。令和に吉本隆明が生きていたら、明治維新や太平洋戦争前の国家存亡の地政学危機を指摘し、日本の生き残りのために「戦時のナショナリズム」を肯定し戦争準備を肯定していたと思っています。令和に小林秀雄の再解釈を行い、長期の理想は国を開くべきであるが、令和の地政学的危機に再び主権回復から自主防衛を肯定していたと思っています。根拠のひとつにナチス統治下のフランスにおいてシモーヌ・ヴェイユがレジスタンス抵抗運動に参加しました。親鸞と日本人のレジスタンスや戦争準備は矛盾するように観えますが、小林秀雄やドストエフスキーであっても、自国が侵略される戦時には、戦争やレジスタンスに参加したに違いありません。吉本隆明も令和には一定のナショナリズムの必要性を感じたに違いありません。


核武装は国家として自律と自立すること。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という、偶然に身を任せ、日本が再び戦場になる蓋然性を高めている(核を持たないことは日本が再び核攻撃を受ける可能性も高めている)地政学的危機に日本は本質的論議がなく楽観論であり、戦時の死傷者や被害を拡大している。戦争に巻き込まれる準備が必要である。


「柔らかいナショナリズムの誕生」日本を再び戦場とさせないために


「カール・マルクス」「フョードル・ドストエフスキー」「ジョルジュ・バタイユ」危機の時代に蘇る思想【柔らかいナショナリズムの誕生】