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父は生前、国鉄の荷物を駅前で調整する運送会社に勤めていた。父が若かった頃の白黒写真が多く残っている。写真ブームの時代背景もあったのかもしれない。

父の写真を追って アルバムを眺めると、20代から30代の頃の父のはつらつとした笑顔にすぐ気がつく。若く体力も気力も充実していたのだろう。周囲の若者や同僚と和気あいあいとした人間関係や写真機を前に皆楽しそうである。現在から観るとよくも悪くも人間関係が濃い時代であったのだろう。

父が亡くなって7~8年が過ぎたころだったか、自宅に中高年の女性が突然訪ねてきた。母と私が対応した。父の仏壇に線香をあげていただいたあと事情を伺った。

父とは疎遠になっていたので葬儀のことはしらなかった。35年以上昔の話しだが、父の運送会社の駅前事務所で一緒に働いていた時代があった。お昼休みには気の合った若者達でよく一緒にお昼ごはんや3時のおやつをゆっくり食べられるような労働環境であった。

そんないつもの職場で父はよく皆を笑わせていたそうである。その頃の職場は忙しい割には皆楽天的で素朴な大家族のように皆仲がよかったそうである。訪ねてきた女性は駅前での職場の楽しい想い出をリアルに伝えてくれた。風のうわさで最近になって父が亡くなったことを知ったそうである。

7~8年も経ち失礼かと思ったが、あまりに楽しく懐かしい昔の職場の想い出があったので、線香をあげにきたそうである。私が家庭で知っている父の顔より、残された若い時代の写真のほうがキラキラした笑顔の表情である。

若いころ会社の実業団野球の投手であったと誰かから聞いた。多く写真も残されている。肩を壊して投げられなくなったと聞いているが、父は野球のことを私に全く話さなかった。今となってはそれが挫折であったのかそうでないかもしるよしがない。

父は家庭ではときどき楽しい冗談もいっていたが、それほどの頻度ではなかった。どちらかというと寡黙なイメージであった。そんな父が家において、唯一はっきりとした声を出すことがあった。お風呂での歌声である。

父はかなりの頻度で日本酒を呑み、酔いつぶれない日はお風呂に入り、父の18番を歌う。以下は千昌夫『星影のワルツ』の歌詞。

別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに星影の ワルツを歌おう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ 
今でも好きだ 死ぬほどに

お風呂に入るとかなりの頻度で歌っていたので、私も自然と覚えてしまった。かなりの情熱的な恋歌であり同時に別れの歌である。特に「冷たい心じゃ ないんだよ 」の繰り返し部分を、おおきな声で抑揚をつけ歌いこんでいた。まだカラオケがなかった時代である。

まさか、お葬式後に訪れた女性がこの対象ではなかったと思われるが、若い父の笑顔はキラキラしており、職場でも若い男女で毎日おしゃべりに花をさかせていたことは確実である。

さらに、まさかのまさかであるが、野球の怪我による挫折だけではなく、男女の大恋愛による挫折もあったのかもしれない。それなら『星影のワルツ』を熱心にさび部分の抑揚を、長い間繰り返し歌っていた動機ともなろう。

ただのカラオケの好きな曲とは思われぬほど、劇的に感情移入していたのである。もしくはカラオケ同様のストレス発散であったのか、60年以上前の父の恋愛の存在など、もちろん確かめられない。仮に、生前に聞くチャンスがあったとしても、懸命に取り組んでいた野球を辞めた理由さえ語らない父が、私に大恋愛の挫折など語るはずがなかったのである。

戦後の高度成長がはじまり、片田舎の駅前において若い男女や仕事場の仲間は大家族のようであり、仕事中や昼休みを問わず、かなりの頻度で楽しい会話が発生していたことは確実な事実であろう。

その楽しさと反比例するように『星影のワルツ』の父の歌声は、悲しさや後悔や苦しみを自ら慰めているようなメロディーであった。その鬼気迫る情熱の源泉はどこにあるのかは永遠の謎となってしまった。

先日、私の高校生の息子が彼女と別れることとなり、その後ユーチューブで聞いていた優里の『ドライフラワー』を口ずさんでいた。以下は歌詞。

都合がいいのは変わってないんだね
でも無視できずにまた少し返事
声も顔も不器用なとこも
多分今も 嫌いじゃないの
ドライフラワーみたく
時間が経てば
きっときっときっときっと色褪せる

まったく違う時代の恋愛観が見える。『星影のワルツ』では別れることになっても「今でも死ぬほど好きだ」とストレートな表現であるが、『ドライフラワー』では、わかれたのか否かも不明瞭のまま、今は苦しいけど色あせていつか楽になると複雑なフェードアウト表現である。

父の大恋愛ははっきりした終わりのタイミングがあり、ごまかせず苦しんだのだろう。その苦しんだ魂がその後20年以上も『星影のワルツ』において後悔や苦しみの魂を、積極的に意識に再現させることによって、いつまでも消えない苦しみの魂を昇華(蕩尽)させていたのかもしれない。絶望した魂を20年以上掛けて自ら供養していたのかもしれない。

生前、お風呂で恋歌を歌っていた父は、50年後、孫の恋歌と一緒に批評されることになるとは夢にも思わなかったであろう。父は孫の顔を見ることなく亡くなってしまった。耳をすませば、現在でもお風呂に入った父の『星影のワルツ』の歌声が当時のそのままに生き生きとこだましている。