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【コロナショックからの三大危機】

1 新型コロナウイルス問題

2 恐慌問題

3 安全保障問題(戦争 治安 飢餓など)

5月28日現在、世界各国は新型コロナのロックダウンなどから経済活動を再スタートさせはじめた。中国は一足先の3月から段階的に経済活動をはじめている。欧米でも5月から段階的に経済再開がはじまっている。中国では再開後3月には回復の兆しも見えたが、4月に入り2月の水準に戻ってしまった現象が見られている。欧米も苦戦しており、三菱総合研究所は「V字回復はない」と判断し、非常にゆるやかに回復するか、ほとんど回復がない一定期間を経てその後回復期が現れるか、長期に及んで回復しないまま、など複数のモデルを予測している。ちなみに2020年の終わりに、GDP減や失業率などが回復せず、高止まりし、未透視がつかなくなった場合は「恐慌」であり、世界的に回復しない場合は「世界恐慌」などの指標や数字によって、毎日のニュースで定番ワードとなって行く。特に米国の数字が予想以上に悪化しており、6月にはIMFやFRBや米国主要銀行は「1930年代の世界恐慌の米国最悪期(失業率など)を上回る経済困難に陥った」とニュースにしなければならない。「コロナ後はもとの世界にはもどらない」との言説が飛び交っているが、問題は「なら、いつもとに戻るのか?」であり各国の政府機関やシンクタンク、学者が多く論文を発表し始めているが、経済活動再開から時間が経つにつれ悲観予測が増えているようだ。当初あった早い段階での高い角度の回復説は、もはや記事になっていない。また夏には回復、2020年終わりには回復という可能性も急速に萎んでいる。ある一定の回復モデルがないとビジネスも行政も仕事が進まないので、薄い根拠で「3-4年で回復する」という、見込み回復論が出回ってもいる(シンクタンク系)これを経済再開後の世界や各国にあてはめてみると、リーマンショック(回復に5年以上)と比較すると、実体経済はざっくりリーマンショック時の5倍以上のスピードで回復する努力や方法が必要。現実的な数字とはいえない。もしろ実態経済から世界金融危機に陥る可能性があり、今後世界経済はさらなる下振れの恐慌性が重なっていくことが予測される。よって2019年の世界経済レベルに回復するには10年、20年と、10年単位での時間が必要と考える。よって「コロナ後はもとの世界に回復するとしても10年単位」との言説が2021年の世界に流布しているかもしれない。国民は長い悲惨な経済低迷(恐慌)で苦しみ痛めつけられる。よくも悪くも「国家」の時代がはじまってしまったのである。国家の時代なら「戦争と革命」などの地獄が予想される。現在からの各国の経済政策が多くを決定し歴史の背景となる。

 

①新自由主義/市場原理主義/小さな政府の資本主義(主流派経済学で30年以上世界をリード、はじめての恐慌対応、グローバリズム)累進税率の緩和

②社会主義・共産主義(19世紀マルクスによって、20世紀には一時世界の半分の政治体制に躍進、その後新自由主義によって少数派へ、21世紀に復活はあるか?)

③ファシズム/国家社会主義(コロナ恐慌対策に失敗した国家からファシズムは発生する)

④資本主義内ケインズ・ピケティ主義/大きな政府の資本主義(1950-1980豊かな資本主義時代・ピケティの高い累進課税はこの時代の日米欧、恐慌と戦争の反省からできたブレトンウッズ体制、まだ固有名詞として目指すべき政治体制の名前がないのでピケティ主義とも命名されるか?累進税率の強化

 

2000年以降、①新自由主義/市場原理主義/小さな政府の資本主義/が、圧倒的に大きな潮流となっている。1980年代の英米では国益と金融の自由化が一致することから導入され、世界はグローバル化したが、20年も経たないうちに、国家の成長は低迷し、格差(貧富の差)は増大し、1%(0.1%)の特権階級(金融階級)の利益のみ社会になっていることが、欧米で顕在化していた。目立つのは中間層の没落による国民の貧困化だった。ほとんどの国民が貧困化して行き、富裕層の所得は極大化している。米国のエピソードは限りなくあるが、大手のCEOの給与100憶円であり、朝から晩まで働くまじめな米国市民の多くが、繰り返し腹痛や歯痛があっても、ドラックストアの痛み止めのみで病院に行かない。国民健康保険がなく、民間の保険会社の支払いが高く、簡単な気持ちで病院を利用できるのは富裕層のみだ。(日本の将来)普通に考えて格差の限度を超えている。こんな背景からトランプ大統領は誕生した。支持者であってもトランプが非常識で不安定な人間性であることは理解されているが、米国の半数は、行き過ぎた新自由主義/市場原理主義の米国制度変えるべくトランプに期待した。また民主党には米国制度を変えるために社会主義者サンダースも有力大統領候補になるほど、米国は変革期にある。世界金融危機(リーマンショック)以来、新自由主義/市場原理主義/小さな政府の資本主義/は米国をはじめ先進国で、成長できない低迷経済と格差の増大に、ナショナリズムと不寛容社会が形成されていた。米中対立も含めグローバリズムや国際協調はいつ崩壊するかの秒読み段階であり、そんなタイミングで新型コロナウイルスと世界同時にコロナ恐慌が発生したのである。

今回のコロナ恐慌は19世紀から20世紀21世紀と恐慌の歴史がはじまって以来、最大の世界恐慌になる可能性が高い。19世紀は恐慌が繰り返され格差も増大した背景からマルクスの資本論や共産主義が生まれたと言える。20世紀は世界恐慌が1回とすると21世紀2020年には2回目であり、過去最大のコロナ恐慌が発生した。よって新自由主義によって、世界中で格差が増大化しているので、再び社会主義や共産主義の復活もありえる。そもそもマルクスは成熟した資本主義から革命がおこるとしていが、実際にはソビエトや中国など成熟前の国家から革命が起こり終焉していった。よって日本やドイツや米国などから、②社会主義が発生することは興味深い。米国から革命が発生する可能性もある。もちろん革命は易々とは起こらず信じがたい犠牲が予測される。しかしこれは現在までにリアルではない。また1930年代同様にナショナリズムが昂じて③ファシズム国家が複数現れる可能性が高い。現在でもナショナリズムを煽る政治家やリーダーも多いが、コロナ恐慌に対応が失敗し経済が破綻する国家は、あっという間にファシズムが台頭してくる可能性もある。コロナ恐慌の対応ができない国家が多数あれば多数のファシズム国家が台頭するかもしれない。日本は20年間新自由主義の嵐が巻き起こり、緊縮財政が徹底され、東日本震災や新型コロナ対応の第一弾でも極めて小さな対応であり、このまま新自由主義のまま進み、コロナ恐慌をミニマムな一時的な財政出動の発想で済ませ、4,5年後に新自由主義&緊縮財政の復活の空気が漂っている。このままの発想なら恐慌収束はできず、中産階級の没落(貧困化)が加速する状況が生まれる。日本人はどこまで耐えられるか?政治は混乱の度を深めるなかで、さらなる経済の悪化。失業率が10%を超えると未知の領域に入り、ファシズムに移行する可能性も。過去20年間①新自由主義/市場原理主義/小さな政府の資本主義が圧倒的に大きな流れで、リーマンショック後も大きな影響力は維持しており、現在も世界経済の本流、と言える。しかしコロナ恐慌に「市場原理」の政策は不可能であって、新自由主義者の政策者であっても大規模な財政出動は認めざるえない。リーマンショックは事実上の世界恐慌的側面があったが、財政出動を一時的なものとし、また市場原理を広めていった。よってこのままであるなら、世界恐慌に各の財政出動後、同時に新自由主義も並行してすすめ。回復の兆しがあれば市場原理を再び徹底しかねない。現状「格差」において欧米は限界と分断を迎えており、これ以上の新自由主義は世界中で③ファシズムと④社会主義・共産主義が台頭し、第2次世界大戦前の状況が繰り返される可能性がある。

まず、どの政治体制を選択するかでなく、まず各国は「恐慌対策」に集中すべきである。恐慌対策がうまくいかない国や政治混乱が継続する国に③④のファシズムや革命の嵐が発生する。戦後、普通に働けば十分暮らせていた中間層が貧困化し絶望する社会は確かにおかしい。しかしファシズムや社会共産主義は率直にイメージがよくない、ファシズムは敗北し、ソビエト連邦は崩壊し、共産国中国は資本主義を導入し、共産国家は消えてしまったからだ。第二次世界大戦もファシズムではない資本主義の大国である米国が勝利した。2010年以前は、新自由主義の資本主義が世界の圧倒的な潮流であった。2008年世界金融危機を境に米国の覇権と新自由主義の社会に逆風が吹き始めた。没落がはじまっていた先進国の市民がグローバリズムや格差や低成長に不満が蓄積していった。極めて発展した新自由主義やグローバリズムに逆回転が始まっていた。2013年発刊にトマ・ピケティの「21世紀の資本」が経済書にも関わらず、2020年までに300万部以上のベストセラーでさらに伸びている。700ページの大著で(日本では5500円)高額な経済書が先進国では1国あたり数十万部単位で売れている。新自由主義やグローバリズムを批判し、大衆まで理論が届いた最初の書籍だ。2020年には映画版「21世紀の資本」が公開され、コロナ恐慌が世界同時な問題であるため、恐慌や資本主義そのものがかつてないほどフォーカスされる年に、有効に世界中のSNSで引用され拡散され、政治経済に大きな影響を及ぼす可能性がある。

ピケティは21世紀の新自由主義により格差が増大し社会危機にあると、格差是正のためには④世界同時の累進課税が有効であると提案している。資本主義の範囲内らしい、内容は別として影響力のある政策として浮上してくる。同じ資本主義の範囲内でポスト新自由主義の経済として、④ケインズ主義(ポストケインズ)がある。1950-1980年ごろの先進国は豊な資本主義であったと両者(ポストケインジアン&ピケティ)は評価する。大きな政府の福祉国家であり、高い成長があった。グローバリズムでなく恐慌と戦争の反省からできたブレトンウッズ体制。30年の資本主義は格差を小さくした。2020年の小さな政府の資本主義から、1950-1980年の大きな政府の資本主義へ、世界中で累進税率を強化して行く。グローバル化や国際金融や貿易を再ブレトンウッズ体制。比較的豊かな資本主義へ回帰案。

現在からの恐慌対策も②③④どれも恐慌を意識した政策制度。今後、各国は恐慌対策の財政出動の大きさや使用目的は②③④の政治体制を決めていく必要があり、救済や財政出動が少ない国はGDPが落ち込みが回避できず、失業率が上昇し早い段階で②③④への移行が必要になる。スムーズに恐慌経済対策と同時に、ポスト新自由経済に移行できればよいのですが、恐慌・戦争・革命など大混乱は避けられそうになく、大混乱の中で体制が準じ移行してゆくのかもしれません。

現在の新自由主義の先進国は率直に残酷さと冷たさを感じてしまいます。昭和を懐かしむことは多く、ふるさとの郷愁や子供時代の思い出なので豊かさを感じてしまうと思っていました。ポストケインジアンに「1950-1980年ごろの豊な資本主義」と評された時代の終わり1970年代の昭和、日本の田舎で小学生として過ごしました。人口4万の小さな街でしたが、映画館が2件、デパートが3件、商店街には毎日多くの人々が歩いていました。映画館では宇宙戦艦ヤマトを立ち観をし、日曜のデパートのエスカレーターは常に混雑しており、屋上では仮面ライダーやヨーヨー大会のイベントが多くありました。自宅から徒歩10秒の国道には、菓子屋さん、薬屋さん、雑貨屋さん、化粧品屋さん、駄菓子屋さん、うどん屋さん、進学塾、雑貨屋さん、鍛冶屋さんの9件が集合していました。1975年頃、祖父の葬儀には大勢に参列頂き、お通夜には玄関前に長い行列ができ、自宅には近所のおばさん達が交代でお手伝い頂き、葬儀でなくても常に自宅に30人もの親戚や関係者が居て、とても賑やかだったのを覚えています。近所の大人は皆顔見知りで道で合うと「小学校何年になった?」「おばあちゃん元気か?」など声を掛けられていました。父も母も勤め人で朝から晩まで働いていました。学校から帰っても近所の子供同士で遊んだり、祖母におやつをもらったりして共働きでも問題なかったようです。おじいさん、おばあさん、父、母、兄、自分と3世代6人で暮らしていました。漫画ちびまるこちゃんと同時期です。

2020年令和に入り、一時帰国して田舎に帰ると実家では、かつて6人で暮らしていた昔の家族は、現在では私1人となり、近所の9件あったお店は現在は薬屋さん1件のみとなりました。デパートは0件に、映画館も0件、商店街は10年以上前からほとんど人が歩いていません。葬儀は省略され限りなくミニマムになっていき、帰国が長引き1か月近く実家に住んでも、ご近所さんにはほとんど会いません。40年以上経ったので、あらゆるものが変化するのは理解できます。しかし地域の人口は同じ4万で若干の減少にも関わらず、いくら何でも、まるで違う国に来たようです。地方の過疎化問題ではしまされない、背景に日本の没落問題があります。昭和は昭和で当時の問題や悩みはあったと思われますが、現在は問題以前にコミニケーションや生命観が薄すぎて(誰も見ない)成長どころか「滅亡を静かに待つしかない」といった地方共通のデフレ型絶望感を全国に感じています。これは仕方のない現象として受け入れなければならないのでしょうか。

バリ島旅行を繰り返していくうちに観光資源として、気温や気圧などの天候の要素は第一と思われますが、バリ島に滞在していると、なぜか穏やかな気持ちになることが多く、なんでだろうと10年以上考えましたが、天候の他にバリでのコミニケーションが関係している思っています。バリ島滞在でローカルと話していると、なぜか日本の1970年代の昭和を感じることが多くありました。理由は不明ですが穏やかに感じるのです。当初はツーリストだから優遇されて(当然優遇されるのですが)と思いましたが、それだけでなく、何も目的がないのに同じ場所に居る人間が多く、何も説明しなくても、認められる空間や人間関係があるのです。はっきりとした目的や意味のある会話がなくとも一緒に居られる人間たち。家族もそんな空間ですが、バリ島はそんなコミニティや空間が社会にたくさんあり、象徴的には重要な宗教行事さえも外国人が参加可能です。恐らく1950-1980年の日本には同じ要素があったに違いありません。中間共同体が多く、人間関係は何もしなくても「絆」があった気がします。昭和はただ懐かしいだけでなく、リアルに豊な時代の側面が多くあったのです。これは日本だけでなく1950-1980年の先進国に共通する部分が多くあります。2020年も決して悪い部分ばかりではありませんが、新自由主義で先進国は中間共同体が崩壊し、「グローバリズムと個人以外は何もいらない、あとは自己責任なので誰もあてにしない」絆は薄れ、明らかに疎外感が社会全体に浸透しています。さまざまな個人的理由でも疎外感を感じますが、ざっくり2000年以降の先進国では、社会が悲惨な疎外感を拡大させていることは明らかに感じます。私が1970年代の昭和に豊かさを感じるのは、単に年をとったからとか、なつかしい故郷だからという理由以外に、現代のように残酷さをも感じてしまうような疎外感が当時の社会には少なかったのではないか、リアルに豊な側面が多かったのではないか、と考えています。「明治」や「昭和」を懐かしむ文脈ではなく、「平成」を経て「令和」は没落期に入ってしまった感があり、本当によい時代であったか、もう一度昭和を思い出し考えています。

世界大恐慌の入口に立ったとは言え、まだ社会主義などの革命の意義は個人的に感じられませんが(混乱が拡大長期化なら?)戦争に巻き込まれようと、戦争がなくとも、日本人は④資本主義内ケインズ・ピケティの方向で、大きな政府で1950-1980年の資本主義を目指す方向が理にかなっているように思えます。直観的に1970年代の昭和の方が不安が小さい生きやすい社会だった、と感じます。もちろん将来の社会や経済と同時に、現在の「恐慌収束」と「戦争に巻き込まれる準備対応」をしなければ豊な社会どころか、日本は短期で没落したり、再び戦場となれば、社会が地獄に変容します(2020年5月28日香港問題で米中戦争の大きな局面へ、米国は日本に立場表明を要求)